主は私を立ち上がらせてくれる

フィギュアスケートのBGMとして使われることが多い曲です。荒川静香さんがこの曲を背景にトリノオリンピックで金メダルを取った事は有名です。実は、結婚式でもよく歌われます。愛する人が、「 私が苦しい時には私を立ち上がらせてくれる。」良い曲ですね。この愛する人というのは、愛する方すなわち「イエスキリストをあらわしていると言われているのをご存じですか。その根拠は、山の上に立つ、嵐の海を歩く、静かに待つ等々聖書に出てくる表現が使われているからです。同志社大学の教授も大学の公式ページの中で、このことに触れておられます。子供たちが歌う時、「 あなたが立ち上がらせてくれる 」と熱唱できるのは、ご両親や先生、なによりイエスキリストのことでしょう。「 恋する人が 」と思って歌ってはいないでしょうからね。God is good all the time. 祝福がありますように!

参考資料:

 同志社大学  関谷直人神学部教授  (  同志社大学公式HPより転載  )
 この国で「讃美歌を知っていますか?」と聞かれて何曲かの讃美歌をあげられる人は多くないだろう。なにせこの国のクリスチャンは全人口の1%未満なのだから、100人に聞いて一人が答えてくれるのがせいぜいという計算である(もっとも日本には同志社のようなキリスト教主義の学校が沢山あるので、そこでの礼拝で歌ったという人の数を入れるともう少し答えてくれるのだろうが)。教会に通っていない多くの人々にとってはきっと讃美歌は自分たちには馴染みのない音楽として受け取られるに違いない。

 しかし、この国にいても私たちは実はそれとは気づかぬうちにキリスト教の讃美歌(少なくともキリスト教に関する歌)を聴いているのである。とりわけイギリスやアメリカから届けられる、いわゆる「ポップミュージック」の中にはキリスト教をテーマとしたものが少なくない。なにせそこではキリスト教は2000年以上の歴史を持っているのだから、それは人々の営みの中に深く織り込まれてきたのだ。だから文化の中核の一つである音楽の中にキリスト教が含まれているのは(中世や宗教改革の時代は言うまでもなく、たとえ現代社会においても)ごく当然のことなのである。

 髪の毛を肩までのばして毎日ギターを弾いていた中学生の私は、少し上の先輩たちに混じって”The Beatles”にハマっていた。中でも”Let It Be”は簡単なコード進行であったということもあり、私も周りの友人たちも、みな本屋で立ち読みして書き写した歌詞を意味も分からず歌っていた(当時はインターネットなどという著作権を度外視したような仕組みはなかったのだ)。そもそも曲のタイトルとなっている”Let It Be”からして意味がわからなかった。通っていた中学の英語の教師に歌詞を見せて”When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me, Speaking words of wisdom,Let it be.”というところの意味を訊ねたら、「うんうん、これくらいなら君たちが習っている英語の文法でも訳せる範囲だろ。『私が困っていると、お母さんのメアリーがやってきて、知恵の言葉を話してくれた。それをそのようにしなさい』という具合さ」と「ドヤ顔」で教えてくれた。それでも当時の私たちにはチンプンカンプンだった。”Mother”が文中なのに大文字で始まっていることなど気づきもしなかったのである。

 それから何十年もたってから自分が神学部で勉強をし始めて、”He”を英文の中で大文字で始めるときには、それは「イエス・キリスト」であったり、「神」を指すことを知り、それと同時に”Mother Mary”が「聖母マリア」を意味することも知ったのである。だから、”Let it be”という言葉を発したのは「聖母マリア」だったのだ。ではどこで?それは福音書のルカ福音書の1章38節の「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』」にあった。まだ男性を知らぬ乙女マリアのところにやってきた天使が、マリアがやがて救い主を生むと告げる。当時16歳そこそこであったと言われているマリアは困惑をするが、天使の告げる神の言葉に信頼をして「お言葉どおり、この身になりますように」と告白する。この言葉こそが”Let it be”なのである。その言葉がわかって、そして新約聖書の信仰、キリスト教の教えの全体像が分かってこそ、初めてこの歌の意味が明らかになるのである。

 一昔前になるが「イナバウアー」で一躍有名になったスケート選手が演技のBGMとして使っていた”You Raise me up”も海外ではキリスト教的メッセージを含んでいると見なされる場合が多い(もともとはラブソングとして書かれたものなのだが)。

これは自分の恋人が心の支えとなってくれるというラブソングとして聴くこともできるが、キリスト教の世界ではまず例外なくここでの”You”は神やイエス・キリストを連想させるだろう。なぜならサビに登場する「山の上」といえば、福音書に出てくるイエスの「山上の説教」を連想させるし、「嵐の海を歩く」ことなど人間にはできないのだが、これもまた福音書に登場する「イエスの水上歩行」の奇跡が仄めかされているのである。Lady Gagaの”Judas”はタイトル通り、イエスを裏切ったと福音書に記されている「ユダ」について言及されているし、ビデオクリップにはハーレー・ダビッドソンに乗った「パンク・ライダー」風のバイカーたちの先頭のバイクのタンデムシートにまたがったGagaが登場するのだが、彼らが着ている革ジャンの背中にはペテロ、ヨハネなどのイエスの「12弟子」の名前が刺繍されているのである。もちろん先頭を走っている男性はイエスだ。この国であのビデオクリップを見てそれに気がついた人はどれだけいるだろうか。

 このように音楽をはじめとする西洋のポップカルチャーとキリスト教は不可分に結びついている。文学はもちろん映画もその例外ではない。キリスト教神学を学ぶ理由は牧師になるためだけではない。西洋文化の深奥に深く根付くキリスト教を知ることで、今まで見えてこなかった世界が見えてくる。それを知ることで、今、私たちが耳にし、目にしている西洋のポップ・カルチャーをより深く知ることができるのである。  



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